東京でインプロ(即興演劇)のワークショップや公演などの活動をしているグループはいくつかあるのですが、それぞれのグループの垣根を越えてセッションをすることはたまーにしかありません。多分タイミングが難しかったり、企画できるようなポジションにいる人が少なかったり、それぞれのグループでスタイルが違ったりするのでなかなか出来ないんだろうと思います。今回ののんべさん主催の「インプロ新年会」は、その「たまー」にあたる貴重な機会でした。
インプロモーティブ、59シアター、カニクラブ、即興実験学校、えーそれからコミックバンドのボーカルの方、行政の方、劇団の制作の方、弾き語りの方、インプロ初体験の方などなどいろんな方と遊べました。そもそもインプロのゲームは「交流」方面に威力を発揮するのですねー。
僕はひとりで何かに没頭するのが好きという半引きこもり的な性質がある一方、みんなでわいわい的なものを好む社交的な部分もいくらかあるみたいです。しかも飲み食いしながらほろ酔いでパフォーマンス。これは楽しー。
イイトコついた企画でした。今日の縁がこれからどう育っていくか楽しみです。
そして来週は静岡までPETAのワークショップ合宿に行ってきます。こっちも楽しみ。
ああ、かたやLETの制作がストップしたまま。後がこわい。
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一橋大学でインプロ(即興演劇)を勉強しているゼミと、即興実験学校の合同パフォーマンスに行ってきた。
コリダー(数回のやりとりだけの短いシーンを次々につくっていく)や、さしすせそ禁止ゲームなど、知ってたけど忘れてたエクササイズの面白さを再確認。あとモバイルパソコンをオペレーションに取り入れてるところのなんかが興味深かった。
終わりにやったシェアリング(ふりかえり)で印象に残ったコメントがあった。
「怒る演技ってけっこう楽しい」みたいな話。
そう、おれも前にそれをすごく感じたことあった。なんでかよくわからないんだけど。
一応分析してみると、相手を受け入れなくていい、ということは自分が変化しなくていい、未来をコントロールできるというやりやすさだったり(インプロの約束事としては普段はNGなだけに)。喜怒哀楽のなかでは多分一番演じやすい感情でもあるし。それでいて、日常であまり体験することのない振舞いだからだったりもする(怒りっぽい人は別として)。
「怒り」は、うまくつきあえれば有用な面もある感情かも。そしてかなりデンジャラス。
ちょっと麻薬を彷彿とさせなくもない。
▼│posted at 11:25:38│
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ちょっと意外。
松尾スズキさんは「今そこにあるスナック菓子で盛り上がる」的な会話を(テレビの現場などで)ちょっと苦手に感じることがある、というようなのを読んだ(「スズキが覗いた芸能界」大田出版)。「笑い」が好きかどうかというのと、そういう会話のスタイルの好みはまた違うことなのかもしれない。
というのは、会話(雑談)には大雑把に分けて
●イミのある話
●ノリのある話
があると思っていて。
漫画にたとえると、前者がストーリー漫画、後者がギャグ漫画といったとこでしょうか。社会学者の宮台真司さんは似たようなことを「意味」と「体感(強度)」というふうに対比させていました。
多分やっぱバランスが大事で、偏ると「カタい話」「ウスい話」になってしまう。
僕は自分で「ノリのある話」がとりわけ苦手だと思っていて、カタくなりすぎないように「笑い」を取り入れて話そうとか書こうとかするけれど。それが災いすることも多い。そんなときは痛い(笑)
まあ"no pain, no gain"ってことで。
▼│posted at 11:56:36│
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どうすんのよ? 俺……どーすんの!
なんてシチュエーションは現実でも時々あります。
インプロ(即興演劇)ではそんなのばっかですし。
たとえば大事な書類を届ける途中で失くしてしまった、なんて時、「ごまかす」「探す」「あきらめる」どのカードを切るのか。
その決断に人生が左右されるのです。
オダギリジョーの。
ライフカードのCMCM紹介コーナー第二弾でしたー。
▼│posted at 11:33:06│
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二度寝、のアクシデントにちょいちょい見舞われる…。
去年の冬は、朝は自分で起きるのでなく、起こしてもらっていた。
仕事と習慣に。
その頃は朝食バイトで午前4時というわけのわからない時間に起き、きびきび手際よく顔洗って歯磨いて布団畳んで着替えをして、などの身支度を1分の無駄もなくこなして家を出ていた。あれはどう考えても自分がやっていたというより、「何か」に動かされていた、と言った方がしっくりくる。
それが仕事と習慣。
今年は仕事が昼夜のことが多いので、朝寝をしても困るのは自分だけ。ほんとに意志の力を振り絞って頑張らないと起きれなかったりする。
言い換えると、去年は「無意識」の力で起きていて、今年は「意識」の力で起きている、ような気がする。
もっと「無意識」に仕事をしてもらって、「意識」の負担を軽くするのがベターなんだろうな。そういう「装置」をつくるといいんだろうと思う。
「無意識」に仕事をさせる「装置」を。
朝起きるのとはあまり関係ないけど、「締め切り」だとか「有言実行」なんかは、そういった「装置」の一種っていう見方も出来る。
まーでもほんと気持ちがいいんだよね。二度寝。
▼│posted at 13:00:00│
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誰とも会わず、本とか読まず、音楽聴かず、電話も鳴らさず、パソコンも触らず、料理せず、用事せず、もうとにかく何もしない、というのはものすごく難しいことだけどそういう空白はつくりだしていかないといいかんなぁしかもある程度コンスタントに、ということをメモしとこ。
忘れかけてたけどこないだ2時間くらいそういう「空白」を作ってみて思い出した。昔はまる3日とかでやったことあったな。
荷物を運んだり部屋を片付けたり棚作ったり飲み行ったり勉強や習い事したりグループ活動したり事業を進めたりサッカーしたりブログ書いたり(ぜんぶ好きだけど)、そういうのばかりが活動的みたく一見思えるけれど、案外そうでもない。そういうのを休めた時に浮かび上がってくるものってある。
何もしないことが。非活動的にみえて実はめちゃくちゃ活動的であるし、非生産的に見えて実はめちゃめちゃ生産的、というか、この手のことを考えると何が活動的で何が生産的なのかよくわからなくなってくるが。
あーすげー忘れそう…。
空白空白。
▼│posted at 23:04:09│
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あけましておめでとうございます。
日本の正月といえば、福笑い。これを楽しめるようでないと「子供心力(こどもごころりょく)」が衰えていると言えます。いい歳した今こそ、福笑いです。
そんなことはさておき、この「顔」というものなのですが。
誰でも、目が二つと耳が二つ、鼻が一つ、口が一つで、それぞれの配置もそう大きな違いはありません。口の下に目、とかめったにないし。
それでも、それぞれのパーツの形や大きさや、そのレイアウトの微妙な違いで、同じ顔の人はいないってくらいに別の顔になっています。で、(顔のつくりとして)見栄えのする顔になったり、不細工な顔になったりするわけです。人間としていい顔かどうかはまた違う話になるかもしれませんが。
さて、僕は正月とか区切りのいいときに、その年に何と何をどんくらいしたものかっていう計画をぼんやりと立てます。これもある意味、その「顔」と似たものように感じたのです。さっき。
この場合、時間、労力(気力)、お金などの資源をいかに配分するか、というのがその人のその年を作ることで、てことはその人そのもの、その人の人生を作るとも言えるわけですから。
お金は別として、時間と労力は誰も似たようなもの。でもその配置・配分によって出来上がるものはやっぱり良し悪しがでてくる…。目や鼻にふさわしい場所があるように、時間や労力にもふさわしい場所を見つけてあげないとなあと。
そんな意味でも、よい一年にできるといいなあ、と思います。
今年もよろしくお願いします。
▼│posted at 02:50:18│
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