2006年06月29日(Thu)

ある日のフードコート

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フードコート形式の食堂がここ何年かで増えてきたようです。
フードコートというのはいっとき見かけた屋台村のようなもので、いくつかの飲食店のブース(コーヒー屋、ドーナツ屋、フライドチキン屋、丼もの屋など)があって、それらが共有の食事席のスペースを囲んでいるような感じの屋内広場です。
ファミレス同様食事時はやはり混雑しますが、それ以外の時間帯は本を読んだり勉強したりするのにもほどよいスペースでもあります。
そこで僕が受験勉強をしていた時のことです(なぜに受験勉強? というのはまたそのうち書こうかなと思いますが)。
僕の隣の席に、小学生くらいの子ども2人を連れたお母さんがやってきました。そのオカンがかなり子どもに厳しい人だったのです。まあオカンという生き物はたいてい口うるさいものかもしれませんが、彼女は口うるさいというより「それはちょっと冷たいのでは」と思えるような言動を僕の隣で繰り広げていたのです。
例えば隣の席に来るなり間髪いれず子どもにダメ出し。
「ちょっとあんたたちなに座ろうとしてんの。座る前に何食べるか決めてこないとダメでしょ。」
文章では表現できないけど、口調がまた嫌な感じなのです。
「お盆にお箸のっけないでよ。こういうところのお盆ってあんまきれいじゃないんだから。」
どうしろというのでしょうか。
だんだんこっちが腹が立ってきます。僕は以前塾講をしていた頃からいかに直接的な指示をせずに子どもを誘導するか、ということに心を砕いていたこともあり(おかげでナメられるのですが)、何の工夫もなく命令ばかりしている彼女に対し
(ちっ、シロウトめ)
と思わずにいられません。
そんなことを思われているとはカケラも知らず、彼女はさらにテーブルに置いてあった子どもたちの本を指して、
「テーブルは何のためにあるか分かってる? テーブルっていうのは食事をのせるためにあるの。早くそういう本とかどけなさいよ。」
なにおうっ。
オノレの存在をこの世からどけたろうかッ。ワレッ。
ゴミ箱にドラッグ&ドロップするみたいにッ。
もしくはゴミ箱をその頭上にドロップさせたろうかッ。ドリフコントのタライ風にッ。

すぐ隣で思い切り本やノートを広げる僕のことを、あの子どもたちは「悪い人」と思っただろうか。それともそろそろ自分らのオカンのいうことは「どうもちょっとオカシイ」ということには気づき始めているのだろうか。
ともあれその一角にはひととき、「なんか微妙におもしろい構図」ができあがったのでした。

なお、この話は若干「誇張」されています。
誇張されているのはもちろん、僕の感情の方が、であり、隣の席のオカンのキャラが、ではないです。
 
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2006年06月22日(Thu)

ユニークな国々

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「ワールドカップ・優勝しそうな国研究術」の師匠と、その弟子のお話です。

師匠:サッカーを観るにも、それぞれの国のことをよく知っているとより楽しめる。どこかよく知りたい国はあるかね。どこが優勝すると思う?
弟子:そうすね、今年ドイツなんてどうでしょう?
師匠:手堅いところからきたね。手堅いというか無難というか。とにかくそんな国だ。ドイツといえばビールだが、「とりあえずビール」ということわざもそんなところから来ている。ビールにしときゃあ無難だろみたいなね。
弟子:ちょっと違うと思いますが。それことわざじゃないですし。
師匠:ドイツ生まれのものは無難。これ常識。車買うのも、迷った人はベンツやワーゲン、BMWを買うものだ。
弟子:だいぶ違うと思いますが……。じゃあイタリアあたりは?
師匠:む、イタリア。首都・ローマ。民族・ラテン系イタリア人。宗教・カトリックが90%以上。
弟子:さすが、くわしいすね。
師匠:公用語・歌。
弟子:……いや、歌は盛んでしょうけど。
師匠:ヨーロッパ旅行ではロンドン、パリ、ローマの3都市巡りが定番だが、実はローマは見どころが少なくてみんなあまり長くは滞在したがらない。そこでこんなことわざができた。
「ローマは1日にして。必ず。」
弟子:はいはい。
師匠:今回フランスが案外くるかもしれんぞ。なにしろ国名に武器が入っている。好戦的な国だ。
弟子:怒られますよ。
師匠:ちなみに公用語・シャンソン。
弟子:古いな。
師匠:じゃ、ファッション。
弟子:意味が分からない。
師匠:まあなんだかんだでブラジルが強い。
弟子:やっぱそうすか。
師匠:文化もかなり違うぞ。主食・サトウキビとコーヒー豆。民族・アミーゴ。
弟子:めちゃくちゃになってきたな……。
師匠:おっと。忘れちゃいけない。アルゼンチン。
弟子:あ、タレントがそろってるみたいすよ。
師匠:あの歯切れのいいプレー。まるで彼らの代表的な文化ともいえる、あの美しき海の宝石……。
弟子:それは珊瑚。アルゼンチンで歯切れがいいっつったらタンゴとくるもんでしょう。
師匠:おお、言葉の最小単位。
弟子:それは単語。
師匠:ここ包帯しておきますね。気分が悪くなったり熱が出たりしたら言ってください。
弟子:それは看護。
師匠:しょうゆやあんこもいいけどみたらしも捨てがたい……。
弟子:それはだんご! 絶対に譲れないのは断固! 赤ちゃんを産んだ後は産後!
師匠:駄洒落は控え目にな。
弟子:……。ところでオランダの攻撃力がすごいらしいですね。
師匠:オランダねえ。運河だらけ、チューリップだらけ、マリファナだらけよ。
弟子:それはまあ、それが合法な国ですけど。
師匠:マリファナとは大麻、つまりアサだろ。アサを吸うとハイになるのは、頭の中にアサが訪れるからだ。我々もここらで一服して新鮮なアサを迎えるというのも悪くないな。
弟子:日本でやると麻薬捜査官を迎えることになりかねません。
師匠:あ、チェコ。近年好調のチェコ。サザンがチェコの海岸の物語をモチーフに歌を書いたことでも有名なチェコ。
弟子:それはチャコですねまちがいなく。しかもチェコに海、ないし。
師匠:トルコのスピーディなサッカーもあなどれない。なお、トルコはオランダ(ダッチ)と並んで「なんかいかがわしい感じの国名」の世界のツートップでもある。
弟子:ほんと失礼な話ですよね。
師匠:あとはイングランドだな。紅茶だな。紅茶といえば松浦亜弥が「♪気ーがーつけばそばに、あなたがいた、いつまでもー、なんたらかんたら、あ”―――!」というCMがあったな。
弟子:午後の紅茶のですね。って何すか、その歌詞とセリフのチャンプル具合。
師匠:あれだがな、ちょっと長くて覚えられないので縮めたい。「気ーがーつけば、あ”―――!」くらいに。
弟子:なんか寝坊したみたいになっちゃってますよ。
師匠:じゃ、「気ーがーあ”―――!」
弟子:女格闘家じゃないですか。
師匠:そろそろ無理が出てきたので、この辺にしておこうか。
弟子:……。ありがとうございました。あ……。
師匠:ん?
弟子:スペインが語られてない!
 
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2006年06月19日(Mon)

意外にロジカル

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トップランナー(インタビューの番組)で宇多田ヒカルのを観た。

それまで僕がもっていた宇多田ヒカルのイメージいったらなんとなく、生まれつき彼女に才能があったことに気がついた周りの人の後押しで世に出てきた女の子、みたいな感じだったけど。
そうでもなかった。
すごく、自分でどんどん動いていく人、という印象を受けた。
小さい頃から自分の家でコンサート開くわ学芸会の出し物を仕切るわ漢字を知らないのが悔しくて4年分とかを1年で勉強してしまうわ。努力家で勉強家でロジカルな人だった。
気がついたらビッグアーティストになってた、というより、「なるべくしてなった」感があったというか。
あと、芸術家って変わりもん多いけど、彼女の場合は普通の会社でも全然有能そうでもあり。そのへんなんかもそれまでのイメージとギャップがあったのでした。
自らガンガン人生を創っていくアーティスト。まだ23歳でありながら。

彼女の人生の方はオートマチックではなかったんだなと。
 
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2006年06月12日(Mon)

ミュージカる・レント

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未来や過去は「ない」。
違う道、違う方法は「ない」。

No day, but today



アイデアは私の中にあるのでは「ない」。
ほかの誰かの中にあるのでも「ない」。

アイデアは、その間にある。



私が好きなのはマリナーズでは「ない」。
私が好きなのはポタージュでも「ない」。

好きなのは、その間にある。
(どんなだ、それは)

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
525,600分
525,600の貴重な瞬間
どうやって1年の長さをはかればいい?

夜明けで? 日暮れで? いつものコーヒーで?
あるいはマイルで? インチで?
それとも笑いで? けんかで?

愛ならどうだろう? 愛ではかるのは?
愛という季節…
(ミュージカル「レント」 Seasons of loveより)

1年を分で表すと525,600分。525,600というとなんだかすごい数字だ。仮に1分が1馬力とすると、50万馬力である。かの鉄腕アトムでも10万馬力だから、アトム5人分の換算になる。めっちゃエネルギッシュ!

さて、エネルギッシュときたらワールドカップというご時世ですが。
誰もが、ヒデや中田がボールを追ったりボールを蹴ったりしている、と思っている。ところが、見方を変えると、ボールがヒデの追う・蹴るという動作を引き起こしている、と言えるわけで。球(たま)はまた、たま(霊←たましい)であり、そう考えると、タマが蹴らせているという見方はいっそう説得力がある。

ていうか、それは怖い。

気を取り直して。
同様に小道に転がっている空缶は、通りがかったガキンチョの蹴る(それとも拾う?)という動作を引き起こす。ひざくらいの高さの丈夫な箱は、歩き疲れた人から座るという動作を引き出す。エレベーターやなんかのボタンは、正面に来た人から押すという動作を引き出す。時にはそんな「モノ目線」もオツなものである。

で、ミュージカルである。僕はミュージカルを観ると、歌って踊りたい気分になる、というわかりやすいタチだ。モノ目線に言い換えると、「ミュージカルが僕を歌って踊りたい気分にさせる」ということ。それでこそミュージカル。そんなチカラがミュージカる。そのチカラに、僕はミュージカられる。それは、僕の中にもとからあった「歌って踊りたい」という気分のエリアに、僕を導くチカラ。

舞台や映画(音楽や文学も、なんでも)を観る人は、その作品自体を面白がったり感動したりする。というよりむしろ、作品が、観る人を、彼の中のある気分へと導く、と言えるのでは。
受け手は自分の中にあったある気分の中に連れて来られて、それを面白がったり感動したりする。観客はある意味、舞台やスクリーンにある自分の世界を観て感動しているのだ。作品を観るというのは、そこにある自分を観ること。作品は、きっかけを作ったに過ぎないのかも。普段の気分から、それとは別の場所にある気分へと誘導したに過ぎないのかもしれない。
でも逆に、それこそが作品の役割。誘導すること。トリガーを引くこと。誰もが持つであろうある特定の気分・感情へ受け手を導くこと。すなわちこれ
「トリガる」
である。

芸術は舞台の上にあるのではない。
芸術は受け手の中にあるのでもない。
芸術は、その間にある。

だからイマドキの若者の間で交わされている会話はこんなだ。
「どうよ最近? トリガられてる?(面白い映画とかあった?)」

今回のトリガー:ミュージカル「レント」 ジョナサン・ラーソン作
 
│posted at 11:32:50│ コメント 0件トラックバック 0件
2006年06月05日(Mon)

ウォールデン・森の生活の自由

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人が一日に歩く距離のうち、実に9割が”道”で占められる。
というのは今、てきとーに予想してみた。あながち当たらずとも遠からずではないだろうか。
そんな、人にとって欠かすことのできない”道”。
道と一口に言っても色々ある。
街中の道、田舎道、けものみち、使い道、速見もこみち、
表通り、裏通り、文字通り、型通り、
街道、林道、歩道、武士道、
などなどとにかく色々ある。ではところで、道とはいったいどんな成分からなるのか。

道といえば、柵、塀、垣根、アスファルト、街路樹、信号、標識、そんなのが思い浮かぶが、そのどれもが道のようでいて結局のところ道ではない。人体で言うところの手足、樹でいうところの枝葉だ。上に挙げたどの道にも共通するもの(まぎれこんでいる変な道は無視するとして)、それは「空(から)」だ。体。であり根幹。つまり空(から)こそが本質だ。
同様に部屋を考えてみる。部屋にあるものって何か。床、天井、壁、机、椅子…ではやはりない。アマゾン奥地や砂漠の民、雪原の暮らしあるいは縄文時代、原始時代も考えたとき、そのどれもに共通するもの。それもやはり「空(から)」だ。道とは連続した「空っぽ」のことであり、部屋とは人やモノが入るための「空っぽ」である。

僕らは日々、アケル。胃袋を満たし、胃袋をアケル。玄関を閉め、玄関をアケル。時間を埋め、時間をアケル。心を塞ぎ、心をアケル。アケルことでゆとりができる。そして自由とは、ゆとりがあることである。

時間や心、についてはよく「現代社会はゆとりがない」なんてことが言われたりする。でもこのことについて実は19世紀から言っている人がいる。それがヘンリー・ソロー。「ウォールデン(森の生活)」の著者である。
この本が書かれたのは1850年代。浦賀に黒船が来たり、ナポレオンが皇帝になったような年代。その頃といったらインターネットは言うに及ばずテレビも飛行機も電話もない時代だ。そんな時代でも彼に言わせれば、人々は暮らしを複雑にすることから逃れられなかった。そこで彼は実験的に約2年間、町を離れ森に入って、暮らしに必須なもののためだけに働いた。そうすることで「最も大切な必要」である「人間を耕す」ための時間を空けた。元祖シンプル・ライフの人である。
自分にとって本当に意味があるものがやってくるための道を空け、それを迎えるための部屋を空けたのである。

「優れた絵を描き、彫像を彫る、創造の能力は良きものです。けれども、人間が生きて、描き、練り、暮らしを良くする芸術ほど、栄光ある芸術はないでしょう。日々の暮らしの質を高めることこそ、最高の芸術です。」
「人々は、真理が太陽系の彼方、もっとかけ離れた遠い星の陰、アダムの昔のさらに昔、あるいはまったく逆に、人が滅び去った後からやってくる、と思い込んでいます。永遠なるものには逆らいがたい不可思議が、確かにあります。けれども、その無限の時、場所、そして機会のすべては、今、私たちが生きる目の前にあり、目の前で起きています。」


しかしこの「ウォールデン」、分厚い。僕は今回、全部は読めなかった。いくつかの訳をくらべて一番読みやすいのに挑戦したんだけど。それでも実に面白かった。まあ、腰をすえてじっくり読むのか、ななめ読みしながら自分の興味のあるところを拾い読みするのかは

自由だあああー!!

分厚い本・イズ・フリーダーム♪ってことで。

参考資料:ウォールデン・森の生活(ヘンリー・ソロー著 今泉吉晴訳 小学館)
参考パフォーマンス(笑):犬井ヒロシ(エンタの神様)
 
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2006年06月02日(Fri)

言葉の化学

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こんな問題に出くわした。

問題:カッコに当てはまるものはどれか。(実際は英語)
(        )、彼女の発音は正しくない。
1 彼女の年を考えると
2 厳密に言えば
3 天気が許せば
4 彼女の様子から判断すれば

さあどれだ。ん?

天気が許せば?

「天気が許せば、彼女の発音は正しくない」
むしろその選択肢こそ脳天気だ。
選択式の試験問題を作る人の中には、どう考えてもウケをねらって選択肢作ってるヤツがいると思えてならない。言ってみればヤツらの仕事は正解以外のウソの選択肢を作ること。頭の中はウソだらけである。ふざけた人種である。
とは思わずに、「自分でもそれやりたいやりたい」となる僕なわけで。

ではさっそく。

○飛行機から見ると、彼女の発音は正しくない。

   (くちびるを読む、ってやつ? なんにせよすごすぎ!)

○冷蔵庫に保管しておけば、彼女の発音は正しくない。

   (なら、常温保存でいいじゃないか)

意味が分からん。分からんが、なんか、並べる言葉によって言葉の意味が奇妙に変わる。これぞ言葉の化学反応。
僕の言葉遊びゴコロも、化合・分解させられてしまいそうです。

いやー、私立の問題集はそれなりに遊べるね。

   (私立公立は関係ないって)
 
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