2007年08月14日(Tue)

じょし

カテゴリー:ねむるメモ記事編集

これはイスです。
これがイスです。
という時の「は」と「が」の違いは、なかなかうまく説明できない。生粋の日本人であろうが、生粋の大人であろうが、生粋の家具職人であろうが、うまく説明できない。
たいていは。

それでいて、何かを話そうとする時に、「は」と「が」のどっちを使えばいいかわからずに言い淀んでしまう、ということはまずないだろう。
言い淀むといえば僕の場合、ど忘れとか、ちょうどいい言い回しが出てこなくて言い淀むことはよくあるけど。そして悲しいことに、言葉を探したり迷ったりしているうちにその話題は変わってしまう。
たいていは。

ところで、僕が誰かに、何かについての話をするとする。そこに登場するひとつひとつのものごとは、次のうちのどちらかになる。それは、相手が知らなかったものと、すでに知っているものの二つだ。話は、この二つの間を行ったり来たりする。
たとえば、「むかしむかしあるところにおじいさんとおばあさんが暮らしていました」と話し始めるとすると、相手にとっておじい・おばあはは初めて聞く「知らなかったもの」ということになるし、次に「おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に…」といくときは、もうおじい・おばあは登場済みなので、今度は「すでに知っているもの」になる。
知らなかったものの時は、おじいさん「が」となり、すでに知っているものになった時は、おじいさん「は」となるのだ。
このへんが「が」と「は」の違いの「みなもと」みたいなものらしい。そしてこの「既知から未知へ」「ものごとの題目を示す部分から、その題目について述べる部分へ」という動きは、人間の思考の特質なのだという。言語は、この思考の動きを反映する。
常に。

というのは、どの言語もそれぞれの方法で、既知と未知の違いを表現するのだ。
英語だとこれをaとtheなどで区別する。
Once upon a time, there lived AN old man and AN old woman. One day, THE old man went into the mountains …
知らないおじいの時はaで、ひとたび知られるとtheになっております。
さらにチェコ語では、これらの区別は語順が担っているのだとか。
方法はそれぞれだいぶ違いながらどの言語でも既知と未知が区別されているのが、この思考プロセスの万国共通さ加減を漂わせている。

てことはこんなのも似たしくみなんじゃないかと思った。
パソコンの画面を眺めると、いくつかのアイコンがある(→新しい情報の登場)。そのうちの一つにカーソルを合わせる(→題目の一つに焦点を合わせる)。で、クリック(→その題目について述べる部分へ:既知から未知へ)。
そんなイメージでいくと、トークバラエティーの司会者が意識するのはタレントの話を膨らませる進行(クリック)と、次の話題に移る進行(カーソル移動や画面スクロール)だし、小説は描写の文(クリック)とストーリーの展開の文(カーソル移動や画面スクロール)からできている。
即興演劇には、エクステンド&アドバンスというエクササイズがあるけど、これも語り手に対してエクステンド(そこんとこもっと詳しく!)とアドバンス(それからどうなるの?)をリクエストするものだ。

みたいなアングルで思考を眺めてみるのもおもしろい。

参考
外国語上達法(千野栄一著 岩波新書)
V・マテジウスの「文の基礎と核の理論」
 
│posted at 21:43:20│ コメント 0件トラックバック 0件