未来や過去は「ない」。
違う道、違う方法は「ない」。
No day, but today
アイデアは私の中にあるのでは「ない」。
ほかの誰かの中にあるのでも「ない」。
アイデアは、その間にある。
私が好きなのはマリナーズでは「ない」。
私が好きなのはポタージュでも「ない」。
好きなのは、その間にある。
(どんなだ、それは)
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525,600分
525,600の貴重な瞬間
どうやって1年の長さをはかればいい?
夜明けで? 日暮れで? いつものコーヒーで?
あるいはマイルで? インチで?
それとも笑いで? けんかで?
愛ならどうだろう? 愛ではかるのは?
愛という季節…
(ミュージカル「レント」 Seasons of loveより)
1年を分で表すと525,600分。525,600というとなんだかすごい数字だ。仮に1分が1馬力とすると、50万馬力である。かの鉄腕アトムでも10万馬力だから、アトム5人分の換算になる。めっちゃエネルギッシュ!
さて、エネルギッシュときたらワールドカップというご時世ですが。
誰もが、ヒデや中田がボールを追ったりボールを蹴ったりしている、と思っている。ところが、見方を変えると、ボールがヒデの追う・蹴るという動作を引き起こしている、と言えるわけで。球(たま)はまた、たま(霊←たましい)であり、そう考えると、タマが蹴らせているという見方はいっそう説得力がある。
ていうか、それは怖い。
気を取り直して。
同様に小道に転がっている空缶は、通りがかったガキンチョの蹴る(それとも拾う?)という動作を引き起こす。ひざくらいの高さの丈夫な箱は、歩き疲れた人から座るという動作を引き出す。エレベーターやなんかのボタンは、正面に来た人から押すという動作を引き出す。時にはそんな「モノ目線」もオツなものである。
で、ミュージカルである。僕はミュージカルを観ると、歌って踊りたい気分になる、というわかりやすいタチだ。モノ目線に言い換えると、「ミュージカルが僕を歌って踊りたい気分にさせる」ということ。それでこそミュージカル。そんなチカラがミュージカる。そのチカラに、僕はミュージカられる。それは、僕の中にもとからあった「歌って踊りたい」という気分のエリアに、僕を導くチカラ。
舞台や映画(音楽や文学も、なんでも)を観る人は、その作品自体を面白がったり感動したりする。というよりむしろ、作品が、観る人を、彼の中のある気分へと導く、と言えるのでは。
受け手は自分の中にあったある気分の中に連れて来られて、それを面白がったり感動したりする。観客はある意味、舞台やスクリーンにある自分の世界を観て感動しているのだ。作品を観るというのは、そこにある自分を観ること。作品は、きっかけを作ったに過ぎないのかも。普段の気分から、それとは別の場所にある気分へと誘導したに過ぎないのかもしれない。
でも逆に、それこそが作品の役割。誘導すること。トリガーを引くこと。誰もが持つであろうある特定の気分・感情へ受け手を導くこと。すなわちこれ
「トリガる」
である。
芸術は舞台の上にあるのではない。
芸術は受け手の中にあるのでもない。
芸術は、その間にある。
だからイマドキの若者の間で交わされている会話はこんなだ。
「どうよ最近? トリガられてる?(面白い映画とかあった?)」
今回のトリガー:ミュージカル「レント」 ジョナサン・ラーソン作
▼│posted at 11:32:50│
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