2007年04月07日(Sat)

ねばはり

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春だ。
今年も春が来て冬が去った。
まわるまわる季節はまわる。
新しい季節が登場して、古い季節がハケる。
新しい案件が登場して、古い案件がハケる。
新しいはじまりが登場して、古いはじまりがハケる。
新しい空腹が登場して、古い空腹がハケる。
新しいはじまりが空腹して、古いハケが季節る。

そうしてよくわからないうちに月日は流れて。
なんか漠然と、焦る。
ついこないだまで、身体さえ治ればどんな境遇でもハッピー、とか思っていたクセに。
もう欲が出てるのか。もっと何かしなくちゃ、とかなってるわけ。

でもそんな面倒な感情のおかげで味わえるものがある、と思えた言葉はこれ。

その1:シャーロットのおくりもの
子豚のウィルバーはある日、自分がポークになる運命であることを知りショックを受ける。でもクモのシャーロットが助けてくれると言うではないか。ウィルバーはもし自分に手伝えることがあったら何でも言ってくれ、と申し出る。死ぬのなんていやだ。助かるんだったらどんなしんどい事だってやる、と彼は思ったはず。ところがそれに対してシャーロットが言うことには…
‘You must try to build yourself up. I want you to get plenty of sleep, and stop worrying. Never hurry and never worry! Chew your food thoroughly and eat every bit of it,…. Gain weight and stay well――that’s the way you can help. Keep fit, and don’t lose your nerve.’
Charlotte’s Web (E. B. White)

*よく寝ろ。よく噛め。焦んな。そういうのが大事。といったとこだろうか。ネバー・ハリー、ネバー・ウォリーってのがいいなと。

その2:絵描きのおくりもの
「急ぐといいことはひとつもありません。必要なのは、完全に温和で静謐な状態で、着実に、集中して、そしてできるだけ簡潔に仕事をすること」(フィンセント・ファン・ゴッホ)

その3:悠久の大地のおくりもの
「善きことは、カタツムリの速度で動く」(マハトマ・ガンジー)

その4:森の生活のおくりもの
「私たちは日々を、自然と同じように着実に進めばいいはずです」(ヘンリー・D・ソロー)


そんな気分を再確認して、次へ。
 
│posted at 21:48:47│ コメント 0件トラックバック 0件
2007年03月07日(Wed)

天然エンダウメント

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演劇ワークショップのエクササイズの一つに、「エンダウメント」というものがある。
実にたわいのない、素朴なエクササイズである。
例えばここに靴紐があるとすると、これを靴紐以外のものに見立てる。蛇だ!とかってびびってみる。爆弾の導火線になぞらえて点火してみる。あるいはムチに見立てて女王様になってみたり。4〜5人くらいで、アイデアが浮かび次第次々に演じてみる。別に正解があるわけではないし、むしろ無理があったときの強引さが面白いくらいのゲームだ。
エンダウメントendowmentというのは英語で「授けること」の意。自分の発想を対象に授ける(=見立てる)ことから来ている。
サラリーマンが傘をゴルフクラブに見立ててスイングするのも、落語家が扇子を箸や筆に見立てるのも言ってみればエンダウメント。
お笑いでいう「ボケ」もまた、エンダウメントの親戚と言えると思う。ドレッシングを見て「これどこの国のビール?」だとか、小道具的なものからもっと範囲をひろげてみるなら、ハンバーガー屋のカウンターで「機種変したいんですが…」など。

そもそも演劇は(というか芸術全般は)エンダウメントだらけだ。
舞台は、あるときはお城に、あるときは砂浜に、時には違う惑星にだってエンダウメントされる。役者たちは架空の親子に、先生と生徒に、王様と召使いに、動物や怪物や亡霊にエンダウメントされたりもする。小道具から空間全体、さらに人間関係までエンダウメントが行き渡っている。

演劇だけでもない。
一万円札は、みんなが「これはお金だ」とエンダウメントしている紙切れであり、何らかの理由で(インフレとか?)みんながそれをお金と見立てなくなってしまったら、同じ一万円札はタダの紙切れである。

そんな調子でエンダウメントの範囲や抽象度を広げて考えてみると、いわゆる世界(とか世の中)とかって呼ばれているもの自体、エンダウメントされたもの、っぽいなと思えてくる。
僕らは「世界はだいたいこういうふうになっている」とエンダウメントしていて(無意識のうちに)、そこで生活していて、でもそれはしょっちゅう、実際の世界そのものと違う「見立て」にすぎないんじゃなかろうかと。
なので場合によっては、ほんとうに傘をクラブだと思い込んでゴルフコースを回っているような見当はずれなことをやっているのですきっと。
だからと言って、その多分にでたらめな「見立ての世界」から引っ越すことはできない。なにしろ、見立てられた世界ではない世界、世界そのものというのはどこにも無いだろうから。ギターやピアノを弾くことはできても「楽器そのもの」を弾くことができないのと同じように。ん? たとえ変かな。よくわからなくなってきた…。

ちなみに、かのシェイクスピアも「この世界はすべてこれエンダウメント」と書いたとか。

(※書いてません)

参考
Impro for storytellers (Keith Johnstone)
ラーメンズ 鯨
二丁拳銃 M-1グランプリ2003
 
│posted at 21:37:05│ コメント 1件トラックバック 0件
2006年09月15日(Fri)

ナーサリー・ライムス

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Roses are red,
Violets are blue,
Suger is sweet,
And so are you.

マザー・グース (ナーサリー・ライムス)? 読むほどのものでもないでしょう。読んでも語彙は1つも増えないし文型も単純だし、受験英語等の足しにはほとんどなりません。
そりゃあ頭韻みたいの踏んでてリズムはいいですよ。でも行から行への展開と来たら、なめらかでそれでいてちょっとした意外性があって小気味のよさがありますね。花ことば(バラは愛、赤いバラははじらい、青いスミレは誠実を表します)もからめられていてイメージがまたひろがります。

リドル(なぞなぞ)なんかもあるらしいですがねえ。どうせ大したことないでしょう。
僕は仕事で「頭の体操」風なパズルを作っていたこともあるなぞなぞ通、いわば「ナゾナジスト」ですよ。子供だましは通用しませんから。

As I was going to St. Ives,
I met a man with seven wives,
Each wife had seven sacks,
Each sack had seven cats,
Each cat had seven kits:
Kits, cats, sacks, wives,
How many were there going to St. Ives?

*St. Ives:セント・アイブスという地名 *sack:袋 *kit:子猫

ということですがね。
韻に感心しているスキに引っかかりましたよ。ずるくねえ? 答え「one」ですよ。はじめからよく読むと、そりゃあ「one」ですよたしかに。
こいつら、韻だけじゃないかもしれないですね。手強いです。もっとも、それほどのことはないけど、ま、So coooooooolですね。
 
│posted at 22:56:17│ コメント 0件トラックバック 0件
2006年08月24日(Thu)

複雑な単純作業

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■以前のメモ■
サイト(とブログ)に書いたメモがたまった。
駄メモ(気に入らないメモ。無駄なメモ)があり、佳メモ(気に入っているメモ。波間をただよわない方のメモ)がある。
あと駄メモとか、それと駄メモでしょ、駄メモなんてのもある。
8:2 くらいだろうか。
どっちがどっちかと問われれば、そりゃあ「8」が駄メモと答えるわけで。
で、あとの「2」がそば粉なわけで。
駄メモそばなわけで。
ダメモルチンは毛細血管を強くするです。

そんなことを考えながら、流しで皿を洗っていた。
皿を洗っていたら、ふと、
「あら」を「さらってしまいたい」、と思った。
つまり、駄メモを、取り去るなり書き直すなりしたい!
なんなら己の人生も書き直したい!
修正液ホワイトが乾く前に待ちきれずに書いてしまってなんかもうゴツゴツ、な感じにしたい!
て誰の人生がボツだワレ!

■作業の生態■
などと考え事をしながら皿を洗うのでなくて、ただただ皿を洗う、みたいなことを好んでやる僕です。
時価数億円の皿を心を込めて洗うが如く。皿の形や柄をよおおく眺めつつ、重さや手触り、質感を感じつつ、流れる水の冷たさも感じ、その音に耳を澄ませ、それから自分の身体に余計な力が入っていないか、不自然な姿勢や呼吸になっていないか、最も作業しやすい位置にいるか、そういったことをゼンブ感覚しながら。
すると、なんかすっきりするのです。それと、なごむ、というか。
実際に観たり触ったりすることのできる対象を扱う作業を丁寧に行うことは、「今」を感じるのにもってこいです。
今回は、そんな憎めないヤツである「作業」の生態分布を見てみましょう。

まずはメソード的「作業」。生息地:演劇。学術名:リー・ストラスバーグ科スタニスラフスキーノシステムヲベースニコウアン。こちらは演技のための五感の記憶で作業に限らないが、演劇という分野でこういったノウハウが発達しているのが興味深いところ。
それから「作業」療法。生息地:リハビリテーション医療。手芸、工作、陶芸や音楽、ゲーム、遊びその他の「作業」を使って、身体や精神に障害のある人の諸機能を養っていこうとするリハビリ。神経症の治療法である「森田療法」でもやはり重要な意味がおかれていることでも知られる。
あとあまり目立たないけど、「作業」 in 小説、なんてのも。生息地:文学。小説等のなかで、作業がじっくりと描かれているのをみることができる。例えば、村上春樹の小説では料理や歯磨きといったなんでもない日常の雑事が丁寧に描写されていることが多く、僕もそうだけどそういったものを好む読者も多いらしい。

■いとをかし■
村上春樹といえば、彼の書く物語の終わり近くで時々見られる表現に、こんなものがある。
主人公が日常から離れて、知らない土地――森だったり、高い壁に囲まれた奇妙な街だったり――を訪れる。そしていつしか、その森や壁に囲まれた街は、結局のところ自分自身の一部なんじゃないか、ということを感じとるというもの。

そんな視点でいくと、僕らが日々洗う皿や、掃除をする部屋だとかの作業の対象も、実は自分自身の一部かも。僕らは作業を通して、自身の一部を洗ったり磨いたり空気を入れ替えたり、時には自身の一部を編んだり織ったり組み立てたり、さらには自身の一部をきざんだり(?!)炒めたり(?!)しているのかも。
なんて見方も風情があるのではないでしょうか。
 
│posted at 20:58:15│ コメント 0件トラックバック 0件